2012年04月01日

「日本平カジノ構想」報告

テーマ 天野進吾氏、語る。
『日本平カジノ構想は可能か…!?』
日   時 2012年3月31日(土)14:00〜16:00
会   場  清水市民活動センター2階会議室

カジノを「手段」とした「コンベンションシティ」づくり、
議員としての責任と決断、まちづくりへの熱い情熱、
参加者一同が、熱心に話しに聞き入りました。

静岡県カジノ議員連盟副会長 林芳久仁議員もご参加していただきました。

「静岡をみんなで盛り上げていこう!!」

議員さん達のこうした呼びかけや熱意は、
市民参画の重要性と同じく、代表制民主主義の中で一層重要なものになっています。

参加者との質疑応答も長時間となり、内容のつまったものとなりました。









テーマ 天野進吾氏、語る。
『日本平カジノ構想は可能か…!?』
 「日本平」は、日本らしい風景美を活かした芸術文化の発信地になれるのか!?
 日本一の景観を持ち陸海空の要所である静岡市清水区の『わがまちをみなで考える機会!』
日   時 2012年3月31日(土)14:00〜16:00
会   場  清水市民活動センター2階会議室
講   師 天野 進吾
       静岡県議会議員
       静岡県議会[カジノ]誘致議員連盟会長
主   催 みらい市民会議
  


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2012年01月11日

1月みらい市民会議の報告

テーマ『孫文とは何者だったのか。
   ~太平洋戦争、日本敗北の原因を探る~』
日   時 2012年1月10日(火)18:30〜20:30
会   場  清水市民活動センター2階会議室
     (清水区港町2丁目1−1 キララシティ2階)
講   師 池田 憲彦(元拓殖大学教授)
主   催 みらい市民会議

孫文の真実を史実に基づき講義して頂きました。
台等する中国との「日本のあるべき付き合い方」にも通じる興味深い内容でした。
経済大国となろうとしている隣人『中国』は、中華思想ともいうべき日本と違う価値観を持っているようです。
日本がしっかり自立することで、しっかりと主張ができるようになり、何よりそれが大切だ、
そのようなご意見が背景にあるように感じました。(文責 N)











次回の予告をする北本君


次回は、
1月21日(土)15~17時
タイトル「~アジアの混沌市場を静岡に~『清水港の未来への展望』」
講師 今井久氏(シアトル港湾局特別顧問)

新年会
1月21日(土)17時半~19時半を予定しております。
会費は3500円です。要申込み、詳細きまってますが、後日記事にします。
場所サンライス(静岡市清水区港町2-6-19)

  


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2011年12月10日

『チームつながり』 みらい市民会議12月報告

ふれあいの大切さ作りを実践するグループ『チームつながり』が、
活動内容と趣旨をわかりやすく説明してくれました。

期   日 2011年12月5日(月)
時   間 18:30〜20:30
会   場 清水市民活動センター2階会議室
講   師 伊藤高義・富岡智子・保坂徹
      『チームつながり』スタッフ

人と人のつながりを大切に、まちを考えていこうという趣旨に参加者みなが、大きくうなづきました。
具体的には、
・清水駅周辺を毎月1回お掃除を通じてまちづくりに関心のある人の交流としていること、
・3・11(東日本大震災)後、道路が開通した直後の3月下旬から現地ボランティアを行ったこと、
・数週間現地入りして感じたこと、必要と思ったこと、
・森林問題に正面から立ち向かい、木の皮を剥く方法での森の再生に取り組んでいること
が活動として紹介されました。
様々な質問がフロアーから投げかけられるなど、活発な意見交換がされました。

 『チームつながり』は、サラリーマンや経営者など、本業を別に持つメンバーで構成される
清水区を中心に静岡県を活動拠点とするボランティアグループです。

講師を務めてくれたスタッフのみなさん


講義風景




  


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2011年11月08日

近未来エネルギー策への道筋 講演会 報告

専門的な視点で、グローバルかつ大局的な説明をして頂きました。
また、ピーク電力を下げることことの重要性を指摘し、すぐにできるエネルギー対策も重要であることなど、話題が身近に感じられるような内容もありました。






  


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2011年09月13日

静岡の観光について『これからの日本を救うのは観光だ!!』報告

テーマ『これからの日本を救うのは観光だ!!』
~地元を誇れるまちにするために~


期   日 2011年9月12日(月)18:30〜20:30
会   場 清水市民活動センター2階会議室
講   師 竹内佑騎さん
      ホテルクエスト清水 常務取締役



会場を埋め尽くすほどの参加者の中、
観光の意義と可能性をわかりやすく説明してくれました。

(概要)
まちに住む人が自分のまちを愛する気持ち「地元愛」が、
とても大切。
特に清水の場合、観光資源と言えるのではないか。

創業者の竹内ぎんさんの言葉
「清水ほど富士山が美しく見える場所はないよ。
ここは世界の人たちにも自慢できる日本の誇りだ」
現在の経営でも大切にしている。

地域の誇りや宝を大切に、地域に根付いたホテル経営をしていきたい。
生まれ育った清水を、ますますすばらしいと思えるまちにしていきたい。

(文責 N)


(↓参加者との意見交換の様子)



(参加者からのインフォメーション)
・9月20日げんきびとセミナーinグランシップ
・清水区活性化をめざして、フリーペーパー「ぐーたん」創刊しました。

  


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2011年08月22日

戦争【知らない世代】と【知る世代】が語るシンポジウム 報告

満州から引き揚げ話

2011年8月15日(月)18:30〜20:30

戦争を知らない世代が体験者から聞く。そういう趣旨で、終戦の日に、満州帰りの栗山 満子氏からその前後の日々、さらには引き揚げ話をしてもらった。栗山氏は、自らの体験を著作にもしているし、現在は『九条の会』で日本の平和運動にいそしんでいる。
 抽象論ではなく、あくまでも自分がした満州生活を具体的に語ってくれた。中学二年までいて、昭和22年に引き揚げ船で帰国している。
 新天地を求めた父親が運良く満鉄に職を得てから、そこそこ安定した生活を続けていた。それは水洗トイレだったり、内地より恵まれていたかもしれない。冬はスケート、春先からは花見見物などとのどかな日々だった。戦局が厳しくなり出すと、先輩たちの格好良い姿からやりたかった薙刀の稽古はなくなり、エイエイと突き刺す銃剣術の練習に変わってしまった。そして敗戦、事態は一変した。
 満鉄の官舎は中国人に明け渡すことになり、何と彼らはまだ引っ越し前に五家族も闖入してきた。それも向こうの習慣で土足のママ上がってきたから参った。それだけ現地の人々は貧しい生活だった。日本人は一等国、満人、鮮人、中国人などは四等国民といった世界がひっくり返ったのだ。
 日本人だけ固められた集団生活になり、何が怖いといえばロシア兵による収奪だった。鍵を3つも4つも掛けていても引き千切って侵入してくる。部屋を荒らし回り、めぼしいものを持ち去る。二度襲われたが、その時は生きた心地がしなかった。かわいそうだったのは翌朝旅立つ家族が荷物をまとめていたところを襲われたケースだった。まさにすってんてん。
 幸運にも父親がカメラマンだった前歴が生きて、ロシア兵の母国に送る写真を撮ることで生計が立った。そうでなければ家族は路頭に迷っていただろう。それも後で考えたことで、当時はただ必死だった。だから引き揚げが決まり、帰国となり安堵した。
 でも帰国の旅は惨澹たるもの。引き揚げ船は半畳のスペースに家族6人が押し込められ、横にもなれず、不自然な姿勢を続けるしかなかった。ただ日本に帰れると我慢できた。
 さて話が終わり、聞き手の若もの世代から発言が続いた。その中に満州に向かった日本人は北海道開拓のような気持ちだったのか、という下りがあった。すると在日の夫婦、それも従軍慰安婦救済活動に携わる参加者から痛烈な異議申し立てが出た。トンでもない。方や侵略ではないか。満州には先住の人々がおり、日本人はその土地と生活を奪った。これが歴史だ。その謝罪の念のない昔話は真の語りでない、と猛烈な剣幕だった。以後この発言の賛否が続いた。
 意外だったのは年寄りは謝罪派であり、若者たちが自虐史観拒否だったことだ。もちろん偶々だったのだろうが、興味深った。
(世界史的には、北海道開拓だってアイヌ人にとっては侵略であり、遂には滅亡してしまった。アメリカはインディアンを、オーストラリアではアポリジニを、イスラエルはパレスチナをだ。実際のところ日本が引いたら満州は先住民たる満人のモノにならず、中国として漢族が支配していたという考え方も根強い。歴史には、色んな見方がある。)

 色んな見方もあるが、歴史をキチンと知ろう。それぞれに平和を希求する機会となるシンポジウムとなったようです。

文章I、編集N

  


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2011年07月12日

7月のみらい市民会議(速報)

新文化会館の誕生!
テーマ『清水の文化活動団体のゆくえ』
日   時 2011年7月11日(月) 18:30〜20:30
講   師 新文化会館利用者の会 3名
聞 き 手 みらい市民会議 代表 池田達彦

備 考   みらい市民会議は、市民政策を応援します。
      今回は、「清水の水辺をつなぐ研究会(市役所職員自主勉強会)」の活動紹介が、終盤の5分程度ありました。











<参加者Nの視点>
講師の「建物が人を育てるのではない!文化が人を育てる」と言う言葉は、含蓄のあるものだと思いました。

これまでの清水文化センター利用団体は、新文化会館完成時の、急激な制度変更に、風前のともしび。

時間をかけて築いてきたものを壊すのは、あっと言うまでも、再築は不可と考えられる。で、あるならば、移行期を設けるのがせめてものやり方かもしれないが、それすらないと言う。

「清水市と静岡市の合併は、それぞれの地域個性をより発展させることが大義ではなかったか!?」一般論では、異論はないが、具体になると問題や議論が出てくる。文化会館の制度問題はまさにこうした文脈にあるのではないか。

それにしても、インターネットを利用したパブコメ(市民意見聴取)を実施したことで、市は事業を進めたとのはなしであった。そうだとすれば、あるべき議論や検討とはやはり違うのかなと思わざるをえない。

地域文化が、人を育てる。
まちづくりはひとづくり。

文化とは何か?
全市的に考えるべき課題が、またしても新市制度統一の名の下議論されず進もうとしているのだとすれば、市の大きな損失になりかねない。  


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2011年06月22日

6月のみらい市民会議報告

2011年6月13日(月)18:30〜20:30
相坂摂治静岡県議会議員の東日本大震災の現地調査リポートがありました。

続いて、震災ボランティアに、静岡市清水区から駆けつけた伊藤高義さんの報告がありました。
伊藤さんからは、チーム静岡のひまわりを広める活動報告もありました。

おふたりに、現地の様子を伝えて頂くと同時に、
参加者をまじえ、もし東海地震が発生した場合の私たち静岡市民の対応を意見交換することができました。









次回のお知らせをする北本智春氏と、今回の司会コーディネーターを務めた出嶋良則氏


  


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2011年05月12日

5月例会の報告 

東日本大震災犠牲者のご冥福をお祈り申し上げますと共に
ご家族と被災者の皆様に心よりお見舞い申し上げます


風間重樹市議は、冒頭に東日本大震災に県のボランティア協会に参画する形で出かけた話をした。
その余りの物凄い悲惨な状況をみて、自分の生死を完全に行政にあずける訳にはいかない、その時は住民が一人づつ、どうしたら生きられるのかの最終決断を迫られてしまう。
この静岡においても、当然津波予想は見直されることになり、より強い防災対策が望まれることは言うまでもないが、とにかくより高いところへ逃げた者が勝ちと言う現実は変わらない。完璧な防災体制を築くのは容易ではない。これが個人的な感想と率直に語った。
なお、静岡市政について静清合併は、行政コストの削減には寄与したが、コミュニティづくりはむしろ疎外されている面があるので、それがこれからの課題である。そこでは、やはり住民が行政にパラサイトする意識を捨て、自らの力で立った上で、市政に対峙する必要がある役所側にも住民を手なづけようとする動きがあるので警戒したい。

これら話が多岐に渡ったが質問も数多く出され、特にみらい市民会議メンバーとは、静岡市の災害史がどうして災害想定に活かされていないのか、というような視点での意見交換がされた。内容は、次の通り。

静岡市では、150年前と300年前に起きた地震が特に重要である。
•1854/12/23 (安政元年) 安政東海地震 M=8.4
•1707/10/28 (宝永4年) 宝永地震 M=8.4 → 富士山に宝永山ができた

この時、清水の各地の津波の高さは興津で3m、江尻で4.2m、入江で5.7m、清水で3~2.5m、折戸で2m、三保で3.1~6mとある。(静岡県ホームページ)
ちなみに、この時、四国では、20mを超える津波に襲われている。
http://www.e-quakes.pref.shizuoka.jp/shiraberu/higai/saigaishi/index.html

現在、たとえば三保では、建物2階が、津波避難ビルに指定されている。なぜか?!
ということである。

1896年(明治29年)6月15日に発生した「明治三陸地震」で、38.2mの津波に襲われた場所に、2011年38.9mの津波が来たことがどうして想定外なのか?!
静岡も、150年前に6mの津波に襲われているのに、どうしてその場所の3mを避難ビルにしているのか?!
東日本大震災を教訓にさせて頂くことで、様々な問題が見えてきた。
これを活かすことも、これからを生きる私たちの大切な使命なのではないか。


想定外の地震、と言われるが、過去の災害史を十分に踏まえていない
単に甘い想定を超えたと言うことではなかったのか!?
もちろん、行政の判断は民主主義のプロセスを経ている以上、結果責任は住民すべてにかかるのではあるが、やはりそれではあまりにひどいと思わざるをえない。

過去最大の災害をベースに行政の対策が取られていると市民は信じている。
ところが、予算上、半分くらいのハード対策しかできないというのなら、しっかりそれを教えてほしいものである。また、想定を都合に合わせて、少なく見積もったりしないでほしいものである。
それ(想定に対し予算が足りないこと)をもって、だれも行政を責めたりしないはずである。

今は、情報共有こそ大切になってきている。市民意識も、『行政頼み』ばかりではなく、「判断材料さえ、しっかりそろえてくれれば、あとは市民も考える」となってきている。

東日本大震災が起こってしまった今、行政の不十分な情報提供が、地域の真の姿をぼかし、必要以上に危険をあおったり、市民の適切な自主的避難の妨げになっているではないかという指摘も、会議の中でされた。


今回の会議の参加者(60代後半)が発言し、「先祖から1854年安政東海地震(先述)について聞いている。三保の状況としては~・・・」と具体的な話しが出た。その参加者は、それに続けて「私のように先祖から直接に話しを聞いている者も市内にまだいるはずだ。しかし、こうした話しを聞けるのは、今が最後のチャンスとなってきているのではないか、それを集約して活かすことが求められている」と指摘し、風間市議も大きくうなづいた。
  


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2011年05月09日

『風間重樹 静岡市議会議員 鼎談(ていだん)』5月会議 速報

みらい市民会議
テーマ『どうする、しずおか!どうする、ニッポン!?
    ~大震災トラウマ列島を生きる~』
期   日 2011年5月9日(月)
時   間 18:30〜20:45
会   場 清水市民活動センター2階会議室
     (清水区港町2−1−1 キララシティ2階)
講   師 風間重樹 静岡市議会議員 鼎談(ていだん)形式
聞 き 手 みらい市民会議 代表 池田達彦 ・ 上田紘司(みらい市民会議会員)

詳細は、後日報告の予定です。
(今日は、写真のみの報告)
熱心に語ってくれた風間議員




上田紘司氏


池田達彦代表


現職の議員、元議員、一般市民が熱心に意見交換


追伸 次回の予定
講 師 相坂摂治 静岡県議会議員 
6月13日 18:30~20:30
『東日本大震災のリポート』
会 場 清水市民活動センター2階会議室
参加料 300円(飲み物代込み) 
だれでも参加できます

次回のお知らせをする北本氏

  


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